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高校卒業以来初の甲子園 よみがえる聖地の記憶

■人生で3度目 甲子園のスタンドで観戦

今回のコラムでは甲子園の話をしたいと思います。今夏、甲子園球場に行きました。高校最後の夏に日本一を達成して以来の訪問です。お目当ては、母校・大阪桐蔭と小松大谷の一戦。実は甲子園のスタンドで観戦するのは人生3回目で、大阪桐蔭の試合を見るのは初めてでした。最初に甲子園で試合を見たのは中学生の時、2回目は高校3年生のセンバツで1回戦に勝った後、2回戦の偵察でした。

 

高校を卒業してから10年以上経ちましたが、母校の試合結果はずっと気にかけています。私たちの頃と違って、今の大阪桐蔭は「甲子園に出るのは当たり前」という目で見られています。ミスをしたり、相手チームがチャンスをつくったりすると、球場全体が大阪桐蔭にとって“完全アウェー”に変わるとニュースで見ていました。実際の雰囲気を確かめたくて、甲子園を訪れました。

 

購入したチケットは大阪桐蔭のベンチ上でした。まず感じたのは、スタンドとグラウンドで感覚が全く違ったことです。スタンドにいると、「こんなに見られていたのか」、「応援がものすごい」と驚きました。

 

もちろん、グラウンドにいる時も声援は聞こえます。スタンドを見る余裕もあったので、「お客さんがたくさん入っているな」と感じながらプレーしていました。ただ、スタンドからプレーを見ている方が声援を大きく感じて、高揚感がありました。高校時代に平常心でよく試合ができていたなと思うくらい、スタンドで体感した声援は迫力がありました。

 

■“完全アウェー”を体感 高校球界トップに立った証

振り返ってみると、私たちの時のチームは大半の選手が大阪を中心に関西出身者でした。主力メンバーで遠方から来ていたのは、石川県出身の私と愛媛県出身で現在はロッテに所属している沢田圭佑投手くらいでした。今は全国各地から選手が集まっています。

 

そして、西谷浩一監督が甲子園の通算勝利数で歴代1位に立っていることからも分かるように、日本中の強豪校が「打倒・大阪桐蔭」を掲げています。私たちの頃は関西出身者でチームが構成され、そこまで絶対的な存在ではなかったため、“完全アウェー”にはならなかったのだと思っています。

 

今回、甲子園のスタンドで“完全アウェー”の空気を感じたタイミングはありました。ただ、大阪桐蔭は決して“悪役”として見られているわけではありません。良いプレーをすれば拍手が沸きますし、得点した時にもため息が漏れるわけではなく歓声が上がります。

 

アウェーの雰囲気がつくられるのは、チャンスや得点の場面で起こる声援や歓声が、大阪桐蔭に対してよりも相手チームに向けたものの方が大きいからだと思います。これは、大阪桐蔭が高校球界で確固たる地位を築いた証と言えます。

 

今の大阪桐蔭の選手たちは、スタンドの声にも動じない心が求められています。高校生にとっては低いハードルではありません。でも、常に日本一を掲げている大阪桐蔭は、あらゆる状況を受け入れて、準備や対策を講じているはずです。今夏の観戦では母校の勝利を見ることはできませんでしたが、次回はスタンドで校歌を歌いたいですね。

 

■最も印象深い花巻東戦 大谷翔平選手と対戦

私は主将を務めた2012年の春と夏に甲子園に出場しました。仲間に恵まれて、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げました。記憶に残っている試合はいくつかありますが、特に印象深いのは2012年センバツの初戦で対戦した花巻東戦です。開幕日の最後の試合に組まれ、私にとって初めての甲子園で初のナイターでした。

 

試合中は半分夢の中にいるようにフワフワしていて、試合展開がものすごく早く感じました。後にも先にも体験したことのない感覚でした。最終的には9-2と差を付けて勝利しましたが、5回まで0-2でリードを許す苦しい展開でした。当時は「自分たちは強い」と全く思っていなかったので、「やばい、やばい」とものすごく焦っていました。

 

その中でも、西谷監督は全く動じず、普段通りでした。ベンチでは「この試合は後半勝負になる。耐えていればチャンスがくる」と繰り返していました。花巻東の先発投手は現在ドジャースに所属する大谷翔平選手でした。実は、大谷選手はけがの影響で岩手大会や東北大会にほとんど登板しないまま、センバツに入っていました。

 

ぶっつけ本番でも好投できるのが他の選手との違いですが、西谷監督は1試合を投げ切れる体力がないと見ていました。その分析通り、6回にチャンスが訪れます。2つの四球と2本の安打で3点を奪って逆転。さらに、7回に4番・田端良基選手の2ランでリードを広げました。

 

■ヒットを打っていれば…出塁は人生の自慢

甲子園初勝利は、これまでにない特別な1勝です。ただ、この試合では1つだけ心残りがあります。野球を辞めて社会人になってからも、大谷選手と対戦した話をする機会があります。その時、必ずと言っていいほど、「ヒットを打ったんですか?」と聞かれます。私は大谷選手にノーヒットに抑えられました。あの時、ヒットを打っていれば…。大谷選手からヒットを打ったと言えるか言えないかで全然違ったという後悔があります。

 

ヒットは打てませんでしたが、1つ誇れるのは6回に選んだ四球です。私が先頭打者で出塁して、結果的に逆転につながりました。この貴重な出塁は自慢です(笑)。

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